皆様からのご浄財が由緒ある間々田八幡宮の社殿を未来につなぎます!
はじめに
間々田八幡宮の歴史は大変古く、その創建はいまから約1300年前の奈良時代 天平年間と伝えられています。
天慶2年(939年)の平将門の乱の際には藤原秀郷が、文治5年(1189年)の奥州合戦出征の際には源頼朝が、それぞれ当間々田八幡宮にて戦勝祈願を行ったと伝えられます。特に源頼朝は戦勝を祈願して境内に松樹を植え、この松は後に巨木に成長し「頼朝手植えの松」として近隣に広く知られました(明治35年枯死)。
また、江戸時代には、朝廷の勅使である例幣使が日光東照宮からの帰途に必ず当社に参拝するのを習わしとしていたそうです。
当時の社殿は享和年間(1800年初頭)の失火により消失しましたが、その50年後の1851年、間々田村の人々が浄財を募り、宮大工の名門である本川俣(今の埼玉県羽生市)三村家7代目・三村正利を棟梁として現在の社殿が再建されました。技能の高い大工と彫刻師の協業という、日光東照宮以来の流れを受け継ぐ関東近代寺社建築の典型として価値の高いものとされています。
現在の間々田八幡宮は、近隣に類を見ない広大で風光明媚な境内環境が再注目され、また最近の御朱印ブームや神社ブームと相まって、群馬、茨城、千葉、埼玉、東京、福島などの近県から多くの参拝者が訪れ、これまでにない賑わいを見せています。
天慶2年(939年)の平将門の乱の際には藤原秀郷が、文治5年(1189年)の奥州合戦出征の際には源頼朝が、それぞれ当間々田八幡宮にて戦勝祈願を行ったと伝えられます。特に源頼朝は戦勝を祈願して境内に松樹を植え、この松は後に巨木に成長し「頼朝手植えの松」として近隣に広く知られました(明治35年枯死)。
また、江戸時代には、朝廷の勅使である例幣使が日光東照宮からの帰途に必ず当社に参拝するのを習わしとしていたそうです。
当時の社殿は享和年間(1800年初頭)の失火により消失しましたが、その50年後の1851年、間々田村の人々が浄財を募り、宮大工の名門である本川俣(今の埼玉県羽生市)三村家7代目・三村正利を棟梁として現在の社殿が再建されました。技能の高い大工と彫刻師の協業という、日光東照宮以来の流れを受け継ぐ関東近代寺社建築の典型として価値の高いものとされています。
現在の間々田八幡宮は、近隣に類を見ない広大で風光明媚な境内環境が再注目され、また最近の御朱印ブームや神社ブームと相まって、群馬、茨城、千葉、埼玉、東京、福島などの近県から多くの参拝者が訪れ、これまでにない賑わいを見せています。
間々田八幡宮 令和の大改修
先に述べましたように、間々田八幡宮の社殿は再建から約170年の歳月が経過し、長年にわたる風雨や、度重なる地震などによる看過できない劣化が進んでおります。
特に屋根や社殿の傾きは、東日本大震災以来、目に見える形で急速に進行しており、次に大きな地震が来た場合には倒壊する危険性が指摘されており、万が一倒壊した場合には億単位の再建費用が必要となります。
また、江戸時代の再建時そのままの拝殿の構造は、近年増加傾向にある七五三や安産祈願、厄除けなどのご祈祷を希望される皆様に気持ちよくご拝礼いただくにはほど遠い状況となっております。
これらの現状を鑑み、歴史ある神社の尊厳を護持し、新しい時代に即した御神威の最たる発揚を目指し、ここに令和の改修事業を提起し、氏子崇敬者の皆様に事業へのご理解とご奉賛をお願いすることとなりました。
この間々田の地に生きた先人が多くの労力と財を費やした間々田八幡宮の社殿を後世に伝えていくことは、今を生きる我々にとっての責務であると考えております
氏子崇敬者の皆様方におかれましては、本事業の趣旨をご理解いただきまして、お力添えと資金の御奉賛を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
特に屋根や社殿の傾きは、東日本大震災以来、目に見える形で急速に進行しており、次に大きな地震が来た場合には倒壊する危険性が指摘されており、万が一倒壊した場合には億単位の再建費用が必要となります。
また、江戸時代の再建時そのままの拝殿の構造は、近年増加傾向にある七五三や安産祈願、厄除けなどのご祈祷を希望される皆様に気持ちよくご拝礼いただくにはほど遠い状況となっております。
これらの現状を鑑み、歴史ある神社の尊厳を護持し、新しい時代に即した御神威の最たる発揚を目指し、ここに令和の改修事業を提起し、氏子崇敬者の皆様に事業へのご理解とご奉賛をお願いすることとなりました。
この間々田の地に生きた先人が多くの労力と財を費やした間々田八幡宮の社殿を後世に伝えていくことは、今を生きる我々にとっての責務であると考えております
氏子崇敬者の皆様方におかれましては、本事業の趣旨をご理解いただきまして、お力添えと資金の御奉賛を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
主要な工事内容
① 耐震修繕工事(必須工事)
② 改修工事
今回の改修事業は「①耐震修繕工事」を最優先事項としますが、皆様からのご奉賛状況によりましては、新しい時代に即した間々田八幡宮の御神威の最たる発揚を目指し、以下の改修工事も併せて行いたいと考えております。
玉垣撤去・拝殿前階段拡張工事
傾いて危険な状態となった玉垣を撤去し、拝殿前の石段を全面階段に改修します。これによりじゃがまいた開会式等で拝殿前を広々と使えるようになります。
左右回廊状雨除け新設工事
拝殿左右に回廊状の雨除けを新設し、先の拝殿前石段の全面階段化とあわせ、正面から見た際の社殿の御神威の向上を目指します。この回廊状雨除けには雨天時の雨除け機能のほか、手水場や絵馬掛け、おみくじ置き場などの機能も持たせる予定です。

概算費用
工事内容 | 概算費用 |
---|---|
①拝殿引き起こし・屋根銅板葺き替え工事 | 25,276,900円 |
②拝殿建具修繕工事 | *7,000,000円 |
③-1玉垣修繕工事 | *3,000,000円 |
優先修繕項目小計 | 35,276,900円 |
③-2玉垣撤去・拝殿前階段拡張工事 | 6,201,800円 |
④左右回廊状雨除け新設工事 | *23,000,000円 |
総事業予算(概算) | 61,478,700円 |
*印の金額は概算となります。
ご奉賛者待遇
奉賛之証(1口 5千円以上)
傾いて危険な状態となった玉垣を撤去し、拝殿前の石段を全面階段に改修します。これによりじゃがまいた開会式等で拝殿前を広々と使えるようになります。
芳名板掲示(1口 1万円以上)
傾いて危険な状態となった玉垣を撤去し、拝殿前の石段を全面階段に改修します。これによりじゃがまいた開会式等で拝殿前を広々と使えるようになります。
見開き御朱印帳(1口 3万円以上)
傾いて危険な状態となった玉垣を撤去し、拝殿前の石段を全面階段に改修します。これによりじゃがまいた開会式等で拝殿前を広々と使えるようになります。
記念石版刻銘(1口 10万円以上)
傾いて危険な状態となった玉垣を撤去し、拝殿前の石段を全面階段に改修します。これによりじゃがまいた開会式等で拝殿前を広々と使えるようになります。
感謝状(1口 50万円以上)
傾いて危険な状態となった玉垣を撤去し、拝殿前の石段を全面階段に改修します。これによりじゃがまいた開会式等で拝殿前を広々と使えるようになります。
御芳名入り提灯設置(1口 100万円以上)
傾いて危険な状態となった玉垣を撤去し、拝殿前の石段を全面階段に改修します。これによりじゃがまいた開会式等で拝殿前を広々と使えるようになります。